われわれはモンスターから如何に身を守るのか~社会防衛論の視点~ [新聞記事]

みなさんはこの事件のことはもうご存じだと思います。
【ライブハウス放火未遂】東京・渋谷のライブハウスでガソリン?まく 島野悟志容疑者は4歳男児ハンマー殴打事件の少年と名前と生年月日が一致 
島野悟志.jpg
そして以下の記事でちょっと詳しく事件の概要が書かれています。


以前にも秋葉原で無差別に人を襲う鬼畜が出たり、ときおりこういう狂ったモンスターが暴れまわります。
こういう事件を見るといつも「ロンブローゾの生来的犯罪人説」を思い出していまいます。
チェーザレ・ロンブローゾはイタリアの精神科医で犯罪人類学の創始者。
彼はその著書の中で犯罪に及ぼす遺伝的要素の影響を指摘、犯罪者の身体的特徴として「大きな眼窩」「高い頬骨」など18項目を、また精神的特徴として「痛覚の鈍麻」「(犯罪人特有の心理の表象としての)刺青」「強い自己顕示欲」などを列挙しました。

この学説はかなり批判のあるところでもあり、私も支持はしにくいにですが、今回の島野悟志容疑者なんかを見ていると、家庭環境がどうあれ本質的な犯罪者はどうやらいるらしいという実感を持たずにはいられません。

犯罪者には刑法により「罰」が科されるわけですが、この「刑罰」の考え方には二通りあるのは一般的にはあまり知られていません。



これは19世紀末のドイツを中心に刑法思想を巡る論争から生まれたもので刑法学における「古典学派(旧派)と近代学派」と呼ばれるものです。

古典学派(旧派)の概要 は
人間は自由意志を持つ理性的存在であるとみて
個々の犯罪行為はその自由意志の外部的実現手段であるとし
・罰せられるのは、その現実的な行為に対するものである(行為主義)。
・犯罪の観念はその行為的側面と結果を重視して理解する(客観主義)。
・刑法上の責任は、自由意志によって反道義的行為を行ったことへの道義的非難である(意思責任・道義的責任)。
・刑罰によって、一般社会の人を戒めて犯罪予防が可能となる(一般予防論)(前期旧派)。

・犯罪により得られる利益よりも、刑罰により失うものが大きければ、合理的な判断により人は罪を犯さなくなる。

・刑罰は道義的責任ある行為に対する応報として犯罪者に課せられる害悪である(応報刑論)(後期旧派)。
・刑罰によって、国家的な法秩序の維持が可能となる(法秩序維持論)。
・危険性を前提とした保安処分は刑罰とは性質は異なる(二元論)。
などとしています。

一方、近代学派(新派)は
人間の自由意志を否定して、犯罪を行為者の素質(生まれ持った遺伝子や性格)と(環境)から生じる必然的な現象とした上で
犯罪行為は犯罪者の反社会的性格の徴表として
・問題となるのは、行為そのものではなく行為者自身である(行為者主義)。
・犯罪の観念は行為者の反社会的性格・動機などの主観的側面より理解する(主観主義)。
・刑法上の責任は、反社会的な危険性を持つ者が、社会が自己防衛するために一定の措置を感受
    すべき立場にいると考える(社会的責任論)。
・刑は応報・報復ではなく、行為者の反社会的な性格を改善するための措置である(改善刑論・
   教育刑論)。
・刑は、行為者の再犯予防を目的とする(特別予防論)。
・刑によって、社会を犯罪から防衛することが可能となる(社会防衛論)。
・危険性を前提とした保安処分は刑罰とは性質を同一とし、相互に代替手段とすることが可能で
   ある(一元論)。


近代学派の基礎にあるのは、人間という存在において、犯罪は行為者の素質(遺伝子)や生育環境によるところが大きいとする認識である。

ときどき暴れまわる、これらモンスターたちを見ていると、遺伝とはいわないまでも何らかの犯罪者としての素質をもったまま成長していったのではないかと考えてしまいます。

古典学派は「犯罪者に余分な刑罰を科すべきではない」と罪刑法定主義を主張して、主に犯罪者の人権を擁護しようとします。
これはある意味無理もない話で、抑圧的な国の方針で誰でも犯罪者にされてしまう可能性だってありますから。

しかし一方、被害者になった人たち、そしてこれから被害者になるかもしれない大多数の人たちの
人権はどうやって守るのか?

「刑罰によって」と古典派は答えるでしょう。
では新派は?

おそらく「保安処分によって」と答えるんだと思います。
引用はしてあるんで興味のある人はページへ飛んで読んでみてください。

「保安処分(ほあんしょぶん)とは、「犯罪者もしくはそのような行為を行う危険性がある者」を対象に、刑罰とは別に処分を補充したり、犯罪原因を取り除く治療・改善を内容とした処分を与える事である。」

この考え方は一部、現行法にも取り入れられています。
それが「少年院」を始めとする少年矯正施設です。

そしてライブハウスでガソリンをまいた島野悟志には、この矯正は効を奏しなかった。
効を奏しないまま、世の中に出してしまったのが、法の限界です。

国はいつまで、こういう矯正できていないモンスターを世に放つのだろうか?

今一度、社会防衛の視点から古典派と近代派の論争は起きないものだろうか?




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