コンプライアンスに熱心な管理職の隠された意図とは? [コンプライアンス]

コンプライアンスが重要だと言って、ルールや手続きを増やし、その厳格な運用を求める管理者の真の目的とは何なのか?

コンプライアンスが、現在の企業経営において重要な考え方であることは間違いない。しかしそれが、自分の最も大切な役割だと考え、様々なリスクを見出し、ルールや手続きやフォーマットを作り、メンバーにその正確な運用を強いるような管理職が多いのには首をかしげてしまう。

このタイプの管理職の多くは中高年であるが、そのコンプライアンスにかける熱意は、マネジャーに求められるそれ以外の仕事にかける熱意とは比較にならないほど強い。

彼らがそうする表向きの理由は、もちろん、コンプライアンスを重視した組織運営は管理者としての大切なミッションだ、ということなのだが、本音は全く違うだろうと思う。

中高年の管理者の多くは、企業内部における既得権者である。役職ポストを独占し、権限を持ち、給与水準は保証され、経営からはそれなりの存在価値を与えられている。彼らにとって困るのは、部下が自分より優秀であることが露見することである。あるいは、自分には理解できない創意工夫やイノベーションが起こることだ。

会社の規模的成長が望みにくい今、組織も処遇も仕事の仕方も何も変わらないほうが都合がよい。部下が活き活きと働き、成長し、その能力を存分に発揮することは、彼らにとって本音では(もしくは無意識下において)望ましい状態ではないのである。

そこで、コンプライアンスの出番となる。
ルールや手続きを増やし、その厳格な運用を求めれば、若手の自由な活動、付加価値時間を制限することができる。仕事上の工夫や変革、新しい知識や技術の導入などを提案されても、それによるリスクを見出すことさえできれば“コンプライアンス”を理由に却下することができる。

コンプライアンスという概念は、身の回りに変化が起こっては困る既得権者にとって、格好の道具となっているが実態だ。彼らは、自分の存在価値を低下させるような事態を防ぐために、能力的についていけないような変化が起こらないようにするために、「コンプライアンスが重要だ」と言っているのである。

コンプライアンスを「社会適合性」と理解する人が、徐々にではあるが増えてきている。
法令遵守というレベルではなく、顧客や市場や社会の要望を把握し、それに合わせ、遵うことがコンプライアンスだという考え方である。違法ではなくとも、社会からの期待や要望とずれたことをやれば企業のブランドに傷がつくという多くの例を見れば、このような理解の仕方は当然である。

そして、コンプライアンス=社会適合性と考えれば、速度を上げて大きく変わり行く社会に適合するためには、企業も変わらなければならないのは自然な流れであり、「内部的な変化なしに、コンプライアンスの実現もない」ことは容易に分ることだ。

このような理解は、既得権を持つ管理者達にとって実に不都合に違いない。
彼らは、コンプライアンスを、変化を起こさないための道具として使ってきているからだ。

コンプライアンスを大義名分に、法令や社内の規程やルールを守らせることにより、現場でイノベーションが起こらないようにしてきた。コンプライアンス=法令遵守でなければ困るのである。

コンプライアンス=社会適合性となってしまったら、いよいよ既得権が危うくなる。コンプライアンスを法令遵守に限定して理解し、その遂行に熱心な管理職には、若手はもちろん経営者も相当に気をつけるべきである。

コンプライアンスを単なる足かせにしてはならない。
こういう管理者等は「法律を守ればあとはなんでもいい」というスタンスになりがちになる。

これでは企業の創造的な活動と本末転倒ということになるであろう。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

川崎市で遺言相続なら行政書士工藤幸弘事務所 大阪市で過払い金請求なら高橋修法律事務所

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。