【最高裁】オリンパス社内通報訴訟 社員の勝訴確定・内部通報後の配転無効 [裁判]

このブログで2011-09-13に紹介した裁判「オリンパス社内通報訴訟」に、最高裁の最終判断が下りました。

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 オリンパス(東京都新宿区)社員の浜田正晴さん(51)が、内部通報によって不当に配置転換されたとして、同社などを相手に配転命令の無効確認などを求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は28日付で、同社側の上告を棄却する決定をした。配転を無効とし、オリンパスと上司1人に計220万円の支払いを命じた二審東京高裁判決が確定した。

 浜田さんは2007年6月、上司らが重要な取引先の社員を引き抜こうとしていることを知り、社内のコンプライアンス室に通報。その後、別の部署に配置転換されたのは、内部通報に対する報復だと訴えていた。

 一審東京地裁は、配転命令による不利益はわずかで、内部通報による不利益な取り扱いを禁じた公益通報者保護法の対象にも当たらないとして訴えを退けた。

 これに対し二審東京高裁は、命令は通報に対する制裁が目的で、人事権の乱用に当たると認定。配転後に達成困難な目標を課して低い人事評価をしたことなども違法だとして、浜田さんの逆転勝訴を言い渡していた。 
                                  (以上 記事引用)

 これで、この事件については一件落着したとは言えます。
 今後はこの確立された判例に基づき、実務上は運用されることでしょう。

 企業は社内通報を行った社員に対して、より慎重にならざるを得ないことになります。

 ただ、懸念されるのは、この事件において前記事で掲載した、オリンパス側弁護士のブラックな手口が解明されていないことです。

 本裁判には負けたとはいえ、これらの弁護士は今後も同じような手口で活動するのでしょう。
 原告の浜田正晴さんにこれ以上、「弁護士懲戒請求」を請求してくれとは言えませんが、いずれ
 誰かがしなければいけません。

 
【オリンパス社内通報訴訟 】会社敗訴で暴かれる女弁護士が陥った暗黒面



【光市母子殺害事件】最高裁判断で元少年・大月孝行被告の死刑確定 [裁判]

最高裁判所.jpg最高裁判所は20日、99年4月に当時18歳の少年が本村弥生さん(当時23歳)と子の夕夏ちゃん(当時11歳)を殺害したという「光市母子殺害事件」に関し、被告人の元少年(現在30歳)に死刑を言い渡した。事件からほぼ13年が経過し、ようやく判決が確定する。
http://hibikorekoujits.seesaa.net/article/253272658.html

今回の事件では、元少年が犯行当時18歳であったこと等から被告人に死刑が適用されるかが争われていた。

しかし、最高裁は「各犯行の罪質は甚だ悪質であり,動機及び経緯に酌量すべき点は全く認められない」冷酷,残虐にして非人間的な所業であるといわざるを得ず,その結果も極めて重大である。

「遺族の被害感情はしゅん烈を極めている」と被告人の刑事責任を述べた上で「被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても,被告人の刑事責任は余りにも重大であり,死刑の科刑は,当裁判所も是認せざるを得ない。」と死刑を言い渡した。

本判決を受け、被害者の本村洋さん(35歳)は記者団の取材に応じ、「社会正義が示された」「大変満足しているが、喜びの感情は一切ない。厳粛な気持ちで受け止めないといけない。死刑について考え、悩んだ13年間だった」とのコメントを発表した。


この事件はわれわれに「正義とは何か」を問うている。

少年事件の場合、少年の社会復帰を促すという少年法の理念から、大人よりも刑事罰が軽くなる傾向にある。
日本の将来を担う子どもたちの社会復帰を促すため、法律が何らかのルールを定めることは自然なのかもしれない。

しかし、その少年法の理念は、時に被害者の処罰感情と対立してしまう。何故ならば、被害者にとって、加害者が大人でも子どもでも受ける傷は同じだと考えられるからである。

この点、よく法律家が引用する「社会通念」とも反する結果を導く。

少年法の理念と被害者にこれからどう向き合うべきなのか?
私たちが実現すべき正義とは何か?
今回の事件をきっかけとして、今一度考え直す時期に差し掛かっているということができる。


【最高裁】痴漢冤罪での損害賠償請求を認めず [裁判]

痴漢冤罪での損害賠償請求は認められず。

痴漢のでっちあげにより逮捕されたとして、東京都の69歳男性が被害を訴えた女性を相手取り、損害賠償を求めた訴訟で、最高裁は1月31日日付で、男性側の上告を棄却する決定をした。
大谷剛彦裁判長は、「原告男性による痴漢の事実は認められない」とする一方で、「女性が当時、電車内で痴漢行為を(第三者から)受けていなかったとまでは断定出来ない」としている。

事案の概要

1 平成11年9月2日午後11時30分ころ、女性(当時20歳)は、JR中央線車内(ほどほどの混み具合。満員ではない。)にて、当時通っていたカラオケ教室の講師と携帯電話で通話中だった。そこに、女性から20~30cmほど離れた位置に立っていた原告男性(当時57歳)が、通話を注意すべく、女性に歩み寄った。
2 女性は、通話口で「変な人が近づいて来た」と言い、その直後に男性は「電車の中で電話しちゃいけない」と女性に注意を行った。
3 11時40分ころ、女性も男性も同じ駅で下車。男性はバス停に向かう中、女性は、交番にて痴漢被害を訴え、これを受けて警官は男性のもとに急行。
4 男性は、痴漢行為を否認したが、女性に下半身を押し付けた疑いで、都迷惑防止条例違反の現行犯で逮捕された。
5 男性は取り調べ中も一貫して、痴漢行為を否認。その後、女性は取り調べを受けることを約束した日に出頭せず、連絡もつかなくなった。
6 女性の供述が通話先のカラオケ講師の供述と食い違うこと※、女性が捜査に非協力的となったことを理由に、検察は、嫌疑不十分により男性を不起訴処分とした。
7 男性は、「携帯電話の通話を注意した腹いせにでっち上げられた」として、不法行為に基づく慰謝料等の支払いを求めて提訴した。
8 女性は裁判所に出廷。「ここまでうそを言うことにあきれています。痴漢をしたのはこの人で間違いありません。わたしはうそをついていません」と反論した。

※女性の供述では、女性は股間を押し付けて来た男性に対して「離れてよ!」と言いながら、2回肘打ちをしたところ、男性から逆に携帯電話の使用を繰り返し非難されたため、「変なことをしておいて、何言ってるの。」と言ったとなっている。
 ところが、通話先のカラオケ講師は、「変な人が近づいて来た」という発言と、その直後の男性の「電車の中で電話しちゃいけない」という発言しか聞いていないと供述している。



事件の概要をご覧になられた方は、女性が車内通話を注意された腹いせに男性を痴漢に仕立てあげたのではと考えた方も少なくないのではないだろうか。

たしかに、わざわざ通話中の女性(周囲からも目立っている)にそれほど混んでいない車内で痴漢を行うのかという疑問はあるし、女性が途中で検察の捜査に協力しなくなり、連絡も取れなくなったという事実も、女性の供述の信用性を損なう要素となりうる。

しかし、依然として、女性が他の第三者から痴漢をされていて、それを今回の原告男性と間違えたという可能性は、その大小はともかく残るのである。

不法行為による損害賠償請求の場合、原告は相手方の「故意」又は「過失」を立証しなければならない。
だが、女性がわざと痴漢をでっちあげた証拠を探すのは困難を極める(女性が全く痴漢をされていなかった証拠があれば、多少は事態は変わっただろうが)。

また、「過失」についても、痴漢被害に遭った女性が警察に被害を通報する際にどれほどの注意義務を負うのかという問題があるし、その注意義務に違反したという証拠を揃えるのも正直現実的ではないと考えられる。

結局、痴漢冤罪の防止のためには、証拠の確保の問題が常に付きまとうことになる。電車内にビデオカメラを設置する動きもあるが、カメラのアングルの問題もあり、それほど期待は出来ない。

一方で、痴漢の冤罪を吹っかけられた側の被る損害は計り知れない。
痴漢冤罪の証拠を確保することが難しいのであれば、やはり、男性専用車両・女性専用車両・普通車両と分け、痴漢そのものが起こりにくい状況を作るのが最も現実的な対策ではないだろうか。「一人で乗る方は原則として、自分の性別の専用車両へ。複数人で乗る場合はその選択により専用車両又は普通車両へ。普通車両内では、物証のない限り、痴漢は成立しない。」

このような運用とした場合、痴漢被害も痴漢冤罪も格段に減るはずである。

痴漢は、女性の心を長きにわたって傷つけ、痴漢冤罪は、男性を社会的に抹殺する。両者を排除する仕組み作りが早急に求められる。

【最高裁】ピンク・レディー敗訴! でもパブリシティー権は認められた [裁判]

ピンク・レディーd.png「女性自身」の記事で写真を無断で使われ「パブリシティー権」を侵害されたとして、歌手のピンク・レディーの2人が光文社に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が2日、最高裁であった。

今回でいうパブリシティー権とは、著名人が氏名や肖像を無断で使われない権利を指し、明確な法的位置付けがない。下級審では一定範囲で権利を認める判例が出ていたが、最高裁が判断するのは初めてで、判決内容が注目されていた。

問題となったのは、週刊誌「女性自身」2007年2月27日号の記事で、「UFO」や「ペッパー警部」など5曲の振り付けを利用したダイエット法を紹介し、女性自身側が過去に撮影したピンク・レディーのステージ写真など14枚を掲載した。提訴したピンク・レディー側は「実質的なグラビア記事で、ピンク・レディーに夢中になった世代を引きつけて利益を得ようとした」とパブリシティー権侵害を主張していた。

最高裁判所小法廷は判決理由で、パブリシティー権を「(著名人などの)商業的価値に基づく人格権のひとつで、顧客吸引力を排他的に利用する権利」と初めて定義。法的権利であることを明言した。

そして、パブリシティー権侵害になる具体的ケースとして
(1)肖像それ自体を鑑賞対象とする商品に使う
(2)商品の差別化に使う
(3)商品の広告として使う――など「専ら顧客吸引力の利用を目的とする場合」と説明。
グラビアやキャラクター商品などは侵害に当たるとの判断を示した。

一方、著名人は社会の耳目を集めやすく、報道や創作物など正当な表現行為で氏名や肖像を使われるのは一定程度、受忍すべきだとも指摘。
今回の記事は、ピンク・レディーそのものを紹介する内容ではなく、ダイエット法などを紹介する程度にとどまっているとして「顧客吸引力の利用が目的ではない」と結論付けた。

これは、請求を退けた一、二審判決を支持したものであり、原告側(ピンク・レディー)の敗訴が確定した。今回の判断は、5人の裁判官の全員一致である。



今回の判決は、パブリシティー権が法的権利であると最高裁判所が初めて認めた点にその重要性がある。
ピンク・レディーは、2010年9月から活動再開しており、昨年には全国ツアーも行った。

彼女たちの活躍や輝きは女性自身の読者層の憧れであろう。同誌で上記写真が用いられた背景には、ピンク・レディーの知名度や人気も多少はあったと思うが、今回ピンク・レディーの写真が用いられたのは、あくまでダイエット方法の見本としてであるため、パブリシティー権侵害はないとされたと考えられる。

法的な判断はよく「利益衡量」という手法がとられる。
具体的にいえば「個人の権利」と「公共の利益」をどうバランスさせるかということなのだが
このピンクレディ訴訟の場合もやはりそうなんだろうと考えられる。

著作権にも言えることなんだが、パブリシティー権を徹底的に貫くと、「表現の自由」が侵害されることになる。

この記事にも貼ったミーちゃんケイちゃんの画像もパブリシティー権侵害ということになるだろう。

「正当な表現行為」にはパブリシティー権は及ばないとした最高裁の意図はそこにあるということを理解すべきなのだと考える。



社員が過労死した企業名の開示を拒否した大阪労働局 これが我が国のお役所の体質 [裁判]

 大阪地裁は10日、社員が過労死等により労災認定を受けた企業名の情報公開請求に対する大阪労働局の不開示決定につき、これを取り消す判決をした。
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 行政機関の保有する情報の公開に関する法律(情報公開法)は、開示請求がなされた場合には原則として行政側に開示義務を課している(同法5条)。
 開示しなくてよいのは、同条各号所定の例外事由がある場合に限られる。
 本件における情報開示請求の対象は「法人に関する情報」であるため、同条2号イに定める除外事由にあたるか否かが争われた。

<参照条文> 情報公開法
第五条  行政機関の長は、開示請求があったときは、開示請求に係る行政文書に次の各号に掲げる情報(以下「不開示情報」という。)のいずれかが記録されている場合を除き、開示請求者に対し、当該行政文書を開示しなければならない。
2号 法人(中略)に関する情報(中略)であって、次に掲げるもの。
イ 公にすることにより、当該法人等又は当該個人の権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがあるもの。

判決はまず、個人の利益の侵害のおそれについては、企業名が開示されても、労災補償給付を申請した社員名などの具体的な情報を得られることはなく、個人を特定することはできないとした。
 また、法人の権利利益の侵害のおそれについては、開示により企業が取引先の信用を失うなど社会的信用を著しく低下させるおそれは、抽象的なものにすぎないとした。
 結論として、除外事由を否定し、不開示決定を取り消した。

 本件で特徴的だったのは、本来労働者の利益を守るべき労働局が、不当に企業寄りの態度をとったという点である。
 特に「企業名を開示すればその企業の社会的信用を損なう」というロジックは不可解としか言いようがなく、「風が吹けば桶屋が儲かる」と同値だといえる。

 覆い隠した末、後で明るみに出る方がよほどその会社の社会的信用にとってマイナスだとは考えていない。かなりの想像力欠如である。

 社員が過労死するなどということは、よほど労働環境・労働条件が劣悪だったということにほかならない。
 知っていて何ら改善せず放置するような企業は問題外である。しかし、仮にそうでなかったとしても、積極的に自らの過ちを認めて再発の防止に努めることこそが、長期的には社会的信用を得ることにつながる。
 そのようなことは、小学校の道徳の授業レベルの簡単なロジックである。

 近時、大王製紙やオリンパスのように、呆れるほどモラル・自浄作用が低い企業の存在が問題となっているが、過労死の問題も根は全く同じなのではないか。
 そして、巷間言われるようになってきた「ブラック企業」の存在が許されてしまっているのは、労働者に冷たく企業側に甘い役所側の体質にも大いに原因があるのでは、と思わせる事件である。


那覇地裁 70代女性への生活保護支給命令 国に殺される? [裁判]

 8月17日、那覇地裁で、生活保護申請を却下された那覇市内在住の70代の女性が、却下決定の取り消しと生活保護受給を求めて那覇市に起こした義務付け訴訟で、裁判所は女性の請求を認め、義務付け命令を出した。
 
女性は年金を受給していたが、この年金を担保に貸付けを受ける制度を利用しており、年金受給者の生活保護利用は原則として認められていなかったため、市が貸付制度の利用をやめるよう指導していたが従わなかったので生活保護を廃止されていた。
 
判決では、「年金受給者の生活保護利用は原則認められないものの、生活が窮迫した状況にあるなど貸付制度の利用が社会通念上やむを得ない場合は、例外的に利用が認められること」に基づいて、女性の生活状況が生きる上で最低限必要な食事にも事欠く状況であり、窮迫していて利用も社会通念上やむを得ないとして、市に裁量権の逸脱・濫用があると判断し、却下決定は違法であるとした。
 
 年金担保貸付の利用を理由とした行政側の却下決定の取り消しを認めた判決は初。
 
 また、女性は2009年12月に却下決定の取り消し・生活保護再開を求めた仮の義務付け訴訟を起こしており、那覇地裁で勝訴した。
 仮の義務付けが認められたのは、2009年12月時点で全国初だった。

なぜ貸付制度を利用できないのか?

 生活保護受給者が年金担保貸付制度を利用できない根拠は、生活保護法4条にある。
 4条には、生活保護の受給要件として、「受給者は資産を最低限度の生活の維持のために活用しなくてはならない」と定められている。
 
 年金は老後の基礎的な生活費として支給されるものだが、これを担保に貸付を受けることは、本来生活のために活用できる資産があるにも関わらず、活用せずに生活保護を受けていることになるというのが、利用禁止の理由になっている。
   
 生活保護が税金を財源にしていることからしても、「財産隠し」のような貸付制度利用が禁止されるのは納得できる。
 ただ、今回の原告である女性は、年金を借金返済に回すと手元に数千円しか残らず、ライフラインが止められるおそれがあり、また糖尿病を患っていたので、治療を受けられないと死に至る可能性もあった。

 女性が70代という高齢であることからも、今回のケースでは、生活保護受給以外に女性を救う手段がなかったといえよう。

 今回のケースは特殊な事例だろうか。そうは思えない。
 
 もちろん、自分で老後の生活設計をきちんと立てておくべきであるし、設計されている高齢者も多いだろう。
 しかし、「あるべき」ことが必ずしも「ある」ものだとは限らない。

 また、ライフスタイルが多様化する中、年金を受給する年齢になっても働く方も大勢おられると思う。
 
 しかし地方では、生活が困窮状況にある高齢者は多い。若年者と異なり、働き口を探そうとしても見つからず、そもそも体力的に労働できない場合も多い。

 そのような高齢者が頼りにするのは公的保護制度になる。

 ところが貸付制度の利用が原則禁止されている現在の状況では、今回の原告の女性のように、返済できない借金を抱え、年金以外に担保がない場合、借金返済をしたいが生活保護を受けられなくなったら困るというジレンマを抱えることになる。
 
 例外事例が認められたとは言え、あくまで判決が個別ケースを救済したに過ぎず、制度としてカバーされたわけではない。
 
 今後、地方在住高齢者へのセーフティネットとして、生活設計の知識を身につけてもらう講座を開くなど公的保護に頼り切らないための予防策と、生活困窮者を救う制度の充実が求められる。


タグ:生活保護

「遠い司法」被告か被告人か...... [裁判]

 裁判になじみのない市民が、民事裁判で「被告」になると、ものすごく動揺するケースを度々見ます。

 「自分は既に犯罪者扱いされている」

 中には、そう思い込んで怒り出すケースもあるようです。この誤解が生まれる最大の責任は、いうまでもなくマスコミ。
 本来、「被告人」というべき刑事裁判の報道で、「被告」という表現を使っているからで、要するに刑事で「被告人」、民事で「被告」という区別をしていないことが原因です。

 マスコミがニュースで取り上げるのは、圧倒的に刑事裁判が多いので、大衆はそこで「被告」という文字を見ている。従って、前記したような誤解が生まれるのです。

 この点について、「被告」「被告人」のもともとの語源であるドイツ語では「Anklagter」「Angeklagter」との区別がされながら、同類の言葉とされ、英語では「defender」と区別がないことから、欧米との文化の違いがあり、日本では「お上に裁かれる」ことは不名誉という感覚があるのに対し、英米では訴えたのが一般市民でも検察官でも訴えられたのは同じとみる感覚がある、という分析もあります。

 こういう区別ない用法の問題性について、弁護士会はマスコミに是正を申し入れていますが、依然として改善されていません。では、なぜ、改められないのでしょうか。

 そもそもマスコミは1970年代半ばまで、逮捕された者も、起訴された者も名字の呼びつけで表現していたのが、人権的配慮から容疑者、被告という用法が用いられることになった経緯があります。そこから先、もう一つ配慮が進まないまま、今に至っているというわけです。音声媒体では、「被告人」というと「非国民」に聞こえるという話もいわれていますが、紙媒体までも含む理由とはいえません。

 この点新聞社によると、結局、結論から言えば、あまり問題視されていないということのようです。刑事と民事での使用による前記したような影響をいえば、それには一定の理解を示しても、端的な表現を優先させることから、「人」を付ける意味性を見出していない、そこまでの対応をする必要性を感じていないということのようです。

 要するに、これははっきりしたことです。これは問題であるという大衆からのクレームが新聞社や放送局に多数寄せられていれば、否応なくマスコミは対応せざるを得なくなる。そういう状況ではない、ということが、おそらくこれが是正されない最大の理由だということです。

 前記したような動揺を生む事態と、この用法の問題性というテーマは、裁判になじみのない大衆が、ある日、民事裁判の「被告」になって、初めて感じることなのです。つまり、これもまた、司法そのものが、かかわりのない多数にとって、遠い存在であり、当事者として関心が持てるテーマではないことと関連しているということになります。

 そもそも冒頭の市民の動揺からすれば、刑事裁判の被告人にしても、「犯罪者」として扱ってはならない、ということもあるわけですが、今回のケースでの誤解をみれば、高い有罪率のなか、まして無罪推定など感覚的に理解が及ばない現実があることもまた、認めないわけにはいきません。

 日本が「訴訟社会」化し、誰もが「被告」になるような社会になれば、解消されるという人もいるかしれません。しかし、それを多くの国民が望んでいるとも思えません。司法を「身近にする」ということよりも、むしろ、常に多数の人間には遠くならざるを得ない司法の「宿命」を踏まえたうえで、検討されなければならない配慮があることも考えるべきだと思います。


法務大臣 職務怠慢の残滓 死刑未執行が最多の120人 国民に重い判断を丸投げ?  [裁判]

 死刑が1年以上執行されず、未執行のまま拘置中の死刑囚が過去最多の120人に達している。
報道陣に初めて死刑執行の「刑場」を公開してから1年。

 国民的議論の活発化が期待されたが、民主党政権下で法相がめまぐるしく代わり、法務省内の勉強会も進展がないままだ。新たな執行がないまま、裁判員裁判で国民は死刑という重い判断を下している。

 江田五月法相は先月29日の記者会見で、死刑の執行について「悩ましい状況に悩みながら勉強している最中。悩んでいるときに執行とはならない」と発言。

 刑事訴訟法は、死刑は判決確定から6カ月以内に執行しなければならないとしているが、法相が執行命令書にサインしない限り、執行されない。現職大臣の“死刑執行停止”とも受け取れる発言には、「職責の放棄」との批判も上がった。

 最後に死刑が執行されたのは、昨年7月28日。当時の千葉景子法相は執行後、「国民的な議論の契機にしたい」と、直後の同8月6日に死刑の存廃を含めた制度の在り方を研究する勉強会を省内に設置。また、同27日には東京拘置所内の刑場を初めて報道陣に公開し、情報開示も進めた。

 だが、この1年間で法相が3人も相次いで交代するなどし、「腰を据えた議論はできない状態」(法務省幹部)。省内勉強会も計7回開かれたが、存置派、反対派から10人ほどヒアリングする程度で、論点整理の段階にとどまっている。

 一方、最終執行以降に16人の死刑が確定し、死刑囚は120人にふくらんだ。国民が審理に参加する裁判員裁判では8件の死刑判決が言い渡され、2件で被告が控訴を取り下げ確定している。

 裁判員として今年3月、東京地裁で強盗殺人などの罪に問われた被告に対する死刑判決にかかわった男性は「葛藤があったが、過去の犯罪歴もあり、死刑は免れないと判断した。死刑が執行されない状態が続くのはどうかと思うが、大臣が判断しない限り仕方ない」と話す。

 慶応大学大学院法務研究科の安冨潔教授(刑事法)は「裁判員が真摯に議論し死刑を選択したのに、法相が死刑を執行しないのは司法制度自体を否定しているように感じる。死刑制度が国民にとって身近な問題となっている中、勉強会をパフォーマンスに終わらせず、国民の意見も取り入れて活発な議論を続けてほしい」と指摘している。

 民主党の面々方。
 ようやく新代表も決まり、首相指名となるようですが、これから総選挙になるまでの短い期間になるんでしょうが、せめてそろそろ本腰を入れてこの問題に対処していただきたいものです。

 立法府である議員は法律を作るのが仕事。
 そして法務行政庁はその法にもとづいて行動するのが仕事。
 このままの死刑囚放置は、司法はもとより国会そのものを否定するものであることは自覚していただきたい。


調停制度 被災地でこそ活用を [裁判]

今回の震災では、1万5000人以上が亡くなり、24万戸を超える建物が壊れた。
今後、相続や住宅の貸し借りなどを巡るトラブルが増えることが予想される。

最高裁は、手続きが簡単で裁判より手数料が安い「調停」の積極的な利用を呼びかけている。

そこで、今回は調停制度とはどのようなものか確認してみる。

調停とは、裁判所において、調停委員会が紛争の当事者を仲介し、紛争当事者間の話合いにより紛争を解決しようとする紛争解決制度である。

当事者双方の話合いによる合意に基づいて紛争の解決を図る手続であり、調停委員会が第三者として当事者双方の言い分を聞いて調停案を提案してくれる。

一般の民事紛争について通常裁判所で行われる民事調停と、家庭に関する事件について家庭裁判所で行われる家事調停とが代表的なもの。調停委員会は裁判官1人と民間人2人で構成される。

また、労働委員会による労働争議の調停や公害等調整委員会等による公害紛争の調停なども制度化されている。調停委員は,調停に一般市民の良識を反映させるため,社会生活上の豊富な知識経験や専門的な知識を持つ40歳以上70歳未満の人の中から選ばれる。

たとえば、建築関係の事件であれば一級建築士などの資格を持つ人,医療関係の事件であれば医師の資格を持つ人など事件内容に応じた専門的知識や経験のある調停委員が指定される。
 もっとも、調停では訴訟と違って判決のようなものはないので、双方が合意に達しなければ問題は解決しない。
 しかし、調停は訴訟に比べて、手続が容易であり、期間も訴訟に比較して短期間であることが多く、ほとんどは3回程度で終わる。
かかる費用も低額という利点がある。また、調停は,どちらの当事者の言い分が正しいかを決めるものではなく,調停委員は,当事者の言い分や気持ちを十分に聴いて当事者と一緒に紛争の実状に合った解決策を考えるというかたちをとるため、日本人には訴訟よりも馴染みやすい解決形式ではないだろうか。
調停で合意した内容は調停調書に記載され、判決と同じ効力を有する。調書に基づいて強制執行を行うこともできる。

今後の被災地での無料の調停相談会

 阪神・淡路大震災では、調停の申し立てが3年後にピークを迎えたという。今回の震災により発生した問題の解決方法の一つとして、調停の利用が考えられるのではないか。

 岩手県調停協会連合会主催
(1)10月2日(日)午前10時~午後4時
        場所:宮古市 陸中ビル3階会議室
(2)11月13日(日)午前9時~午後3時
        場所:奥州市 奥州総合福祉センター

問合せ先:盛岡地方裁判所事務局総務課
電話:019-622-3165
タグ:調停制度

「性行為に同意する」をめぐる司法・ジェンダー・バイアス [裁判]

7月15日に、京都地裁で2009年に起きた暴行事件に関する民事訴訟の判決が出た。以下である。

集団暴行で不起訴 京教大生の停学無効 京都地裁
2011.7.15 20:14

 宴会で酒に酔った女子大学生に集団暴行したとして平成21年、集団準強姦容疑で逮捕され、不起訴となった京都教育大(京都市)の男子学生4人が無期停学処分を不当とした訴訟の判決で、京都地裁(杉江佳治裁判長)は15日、処分を無効とし、同大学に慰謝料計40万円の支払いなどを命じた。

 判決は「(女子大学生と)明確な同意があったというべきだ」と指摘した。

 判決によると、原告4人を含む男子学生6人は21年2月、京都市中京区の居酒屋の空き室で当時19歳の女子大学生と性行為をし、女子大学生の被害申告を受けた大学は同年3月、6人を無期停学処分にした。

 京都府警は21年6月、集団準強姦容疑で6人を逮捕。女子大学生との間で示談が成立し、被害届も取り下げられたため、京都地検は全員を不起訴にした。

(msn 産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110715/trl11071520150008-n1.htm

記憶に残ってる方も多いだろうが、これは大学生による集団暴行事件として大きくマスコミに報道された。被害者側が示談に応じる形で刑事訴訟で不起訴になった事件だったが、加害者とみられた男子学生らは大学から停学処分を受けていた。それを不服として、今度は民事訴訟で男子学生らが停学処分を不当として裁判を行っていた。判決で裁判長は性暴力ではなく合意の上での性行為であったと指摘し、大学側の処分を向こうだと判断した。この民事訴訟は、大学を相手取って行われているが、実質的には性暴力の事実認定についての裁判になってしまった。

 刑事訴訟で性暴力被害を訴えるのは難しい。原則として無罪推定が働くため、「合意がなかった」ことを証明しなければならない。そのために必要なのが「抵抗したが暴行・脅迫によりそれがかなわなかったという証拠」である。さらに目撃者がいないことが多いため、被害者の証言が大きなカギを握る。そのため「供述の信用性」をめぐって被害者は厳しい尋問にさらされ、ときには被告人弁護人から人権侵害にあたる質問もされる。また量刑においては、「被害者の落ち度」が斟酌される。

 上記の刑事司法手続きにおいて、司法関係者からの二次加害を減らすための教材が「事例で学ぶ司法におけるジェンダー・バイアス」で紹介されている。



「第五章 刑事事件とジェンダー」(宮園久栄・長谷川卓也)では、実際の事件をモチーフに、執筆者がシナリオを作成し被害者と周囲の人たちのやりとりを事例として用いる。

 コンパニオンとして働く真鍋(女性・29歳)は友人とクラブで遊んでいるときに知り合った男性に、車で送ってもらう帰りにレイプされた。シナリオは9編から成り、「友人への相談」「母への相談」「弁護士への相談」「警察官への相談」「示談交渉」「検事からの聴取」「証人尋問」「被告人質問」「裁判官の合議」のシーンをとりあげ、被害者が二次加害を受ける様子を描いている。真鍋は当日、「酒を飲んでいたこと」「抵抗した証拠が弱いこと」「(トラウマがあり想起が難しいため)記憶が混乱していること」「職業やこれまでの性体験から貞操観念が弱いとされたこと」などを理由に、周囲から信頼されず、裁判でも「和姦であった」とみなされ敗訴する。

 教材を元に三つのワークショップが組まれている。一つ目は「裁判官の思考過程を分析する」ことで、裁判官の合議のシーンをとりあげ、事実認定とその根拠、さらに問題点を検討する。たとえば以下の要領である。

例1)合意の有無

a)事実と認定
「被害者は、被告人の車に一人で乗った→合意あり」
b)認定の根拠(経験則など)
「男性の車に1人で乗り込むのは、性交に応じる気があるからである」
c)問題点
「車に乗ることは性交への合意を意味しない」
(145ページの表を書き起こした)

 二つ目は「検察官・弁護人の訴訟活動と裁判官の判断」についての検討を行う。たとえば「あなたは、本件以前に、何人の男性とセックスの体験がありますか」というような質問に対し、まず弁護士として「立証すべき事項と関連性のない尋問(刑訴規199の?、199の4?)である」と指摘する。次にそれについて、検察官として「……の事実は、被害者の……を示すものであり、立証事項……と関連がある」と反駁し、最後に裁判官として異議を認めるか・棄却するのかについての判断を行う。ロールプレイも提案されている。

 三つ目は関係者の被害者への対応を事例で問題がある部分を検討する。

 事例を読むと、実際の被害者が刑事司法手続きの中でどのように扱われ、何が問題であるのかが明らかになるため参考になる資料である。

 また、この章では合意の有無の判断について以下のように述べられている。

4.性行為の合意の有無の判断

(1)暴行・脅迫と合意の関係

 刑法の強姦罪には、「暴行又は脅迫を用いて……女子を姦淫した者」に成立する。この「暴行又は強迫」について、最高裁判所は、「相手の抗拒を著しく困難にならしめる」ものと判示している(最判昭24.5.10)。

 かかる「暴行・脅迫」が認められない場合、その場合、(ア)「合意のある性行為であった」と認定され強姦罪不成立とされるか、(イ)「合意のある性行為であったとの疑いが残る」ため無罪とされる。ここで問題となるのは、暴行・脅迫と合意の関係である。上記判断では「性行為について、相手の抗拒を著しく困難にならしめる暴行・脅迫がなければ、合意がある」との「経験則」に基づく事実の推定がなされている。上記(イ)については、表面上「疑わしきは被告人の利益に」という無罪推定原則に従う判断のように見えるが、「暴行・脅迫」の立証不能により直接無罪とするのではなく、「暴行・脅迫がないこと」を「合意」に結び付けている点で(ア)と同様の「経験則」に基づく事実の推定が介在しており、単なる無罪推定原則では説明しきれない。

 しかし、現実に、「性行為について、相手の抗拒を著しく困難にならしめる暴行・脅迫がなければ、合意がある」といえるのだろうか。女性が抵抗・逃走しなければ当然に性行為の合意をしているといえるのだろうか。「女性は貞操を守るために生命・身体の危険を冒しても最後まで抵抗・逃走を図るものである」「女性は本心ではみな性行為を望んでいる」などのジェンダー・バイアスが入り込んでいないだろうか。

(2)間接事実からの合意の推認

 性行為に対する合意の有無が争われた場合、間接事実として、性行為の前後の性行為に直接関係ない言動、被害者の性経験、性格や職業などから「合意」が推定されることがある。男性の一方的な期待の根拠となるような言動(「男性の車に乗る」など)があったこと、性経験が豊富であること、「奔放な」性格であること、「派手な」職業に就いていることなどの事実から、そのような行為をするもの、そのような性格・経歴を持つ者は、(「貞操」観念に欠けているから)性行為に合意するもの、という推定がされていく。かかる間接事実からの推認は、「経験則」に基づいてなされるものであるが、この「経験則」にジェンダー・バイアスは入り込んでいないだろうか

(149~150ページ)

上記のように、司法関係者がもつジェンダー・バイアスが「合意の有無」を左右する可能性が指摘されている。重要な指摘は「暴行・脅迫が認められないこと」を理由に合意があったとみなすことは、無罪推定の原則に従っていることだけでは説明できず、ジェンダーバイアスによるものだという点だ。

 以上の指摘は前提としてもう少し共有されていいと思う。実際の裁判では、被告人は嘘もつくし、でっちあげもする。刑罰を被らないために、弁護士と相談してより有利なストーリーを作り上げるのである。それに対して被害者側はまず友人や家族からの偏見に耐え、司法関係者からの二次加害に耐え、そのうえ法廷で闘わなければならない。多くの場合には精神的に追い詰められるだけではなく、経済的な負担もおう。そして難しい問題だが、性暴力被害者自身が不安にさいなまされ、自分の落ち度を自分自身で責めてしまう。「自分が悪かったのではないか?」と苦しむ。それでも「私は悪くない」と耐えきらなければ、裁判を闘い抜けない。性暴力被害を裁判で訴えるというのは、被害そのものとは別に、社会を相手に闘うことである。

 また冒頭の事件に戻り、もう少し文脈を補足する。この事件がマスコミに報道されたとき、世論は少なからぬ被害者バッシングを行った。女子学生が酒に酔っていたことや、若年者同士のトラブルであったため、「女子学生側に非があった(自衛が足りなかった)」という感想を持った人も多かった。ネット上では、実は「女子学生側が男子学生を罠にはめたのだ」という噂も広がった(当然、無根拠な噂話で、悪意のある二次加害である)。女子学生側に厳しい状況だったと言える。被害届を取り下げ、示談に応じた背景には、こうした世論からのプレッシャーもあったのではないか。二重三重にこの事件の被害者は追い詰められていたと考えられる。

 その上で、今回の民事訴訟が行われた。判決文自体が公開されたわけではないので、どういった理由で裁判長が「(女子大学生と)明確な同意があったというべきだ」と述べたのかは分からない。民事訴訟であるので、無罪推定ははたらかない。ということは「明確な同意があった」ことが立証されなければならない。

裁判長が「というべきだ」と述べているので女子学生側が「同意があった」と述べたわけではなく、裁判長の側が推測していることがわかる。私自身、被害者側が損害賠償を請求する民事訴訟のことは聞いたことがあるが、加害者とみなされた側がこうしたかたちで裁判を起こす例はあまり聞いたことがない。この件そのものの法的な問題は、どう判断すればよいのかはわからないが、上のような司法手続きの問題点を指摘しておく。

 なお、以下のwebサイトを見つけた。知人からの性暴力被害を受けた女性が、「強姦致傷」で告訴を試みるが、「合意がなかった」という点を証明できず「迷惑条例違反」での告訴に踏み切る。その非常に厳しい状況が、支援者の手によって記録されている。

「性犯罪被害者サポーターの記録」
http://www.infoeddy.ne.jp/uchinku/sosyo/index.htm
タグ:性行為 同意
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