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労働契約法改正案 誰も幸せにしない法律再論 日経ビジネスより [コンプライアンス]

労働契約法改正案についての問題点については前の記事で既に述べた。

この問題をまた別の視点から河合 薫さんが「日経ビジネス」に書いてありましたので以下引用します。

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 「あ~あ、これでまた企業は逃げ道を探すことになるぞ」
 「規制すればするほど、働きづらくなるっていうのに、やめてほしいよ」
 「誰かを守るってことは、誰かを切らなきゃいけなくなるってことなのになぁ」

 思わずこんなふうにつぶやいてしまった人もいたのではないだろうか。

 そう。3月16日、厚生労働相の諮問機関である労働政策審議会が、小宮山洋子厚労相に答申した労働契約法改正案の要綱についてだ。同じ職場で5年を超えて働く有期契約のパートや契約社員について、本人が希望した場合に契約期間を限定しない「無期雇用」、すなわち、正社員に転換することが盛り込まれた。

 現在の労働契約法は有期雇用について、1回の契約で働ける年数を原則3年以内と定めているが、契約更新を重ねた場合の上限規定はない。それを改めて、新たに有期雇用の通算期間の上限を5年に設定し、それ以上は「正社員へ」との道筋を示したわけだ。

 ううむ。これってどうなのだろうか? 確かに正社員になれた方が安定するかもしれないけど、5年って、ちょっとばかり長くない?

 小学校の6年間は、とてつもなく長かったし、大学の4年間だって、そこそこ長かった。CA(客室乗務員)をやったのも4年間、夜のテレビ番組やったのも4年間、朝の番組やったのも4年間……。どれもこれも5年以下。大学院を修了するまでだって、かなり長い期間だったように記憶しているが、あれでやっと5年間だ。

 どう考えてみても、5年は長い。ん? だからこそ、「5年も契約したんだから、正社員にしちゃってよ」ということなのだろうか。

「働く人のため」の制度がかえって雇用を奪う矛盾

 いずれにしても、これまで政府が「働く人のため?」とばかりに制度で縛り付けることで、余計に働く人たちの「雇用」が奪われてしまったという現実もある。

 例えば、リーマンショックの後、連日メディアで取り上げられた「派遣切り」。その「派遣切り」を防ぐという名目で、製造業への派遣を原則禁止する労働者派遣法改正案が2010年の通常国会に提出されたことがあった。

 ところが、「派遣社員」を守るためのルールであったにもかかわらず、派遣社員の労働市場は安定するどころか、「雇ってもらえない」ようになってしまった。多くの企業が派遣社員を減らし、パートやアルバイトを増やしたのだ。

 2009年で108万人だった派遣社員は、96万人にまで減少。一方、パートやアルバイトは、1153万人から1192万人に増加した。さらには、「派遣切り」と非難されることへの危惧が、円高や節電といったほかの要因以上に製造業の海外進出に拍車をかけているとの指摘もある。

 しかも、前述した要綱には、「無期契約に移行した場合でも、賃金や年金制度など雇用期間以外の条件は変更する必要がない」とされているのだ。

 つまりは、正社員になったとしても、もらえるおカネは増えないということになる。

 あれ? 非正規社員にとっては、「正社員よりも賃金が低い」などの、「雇用期間以外の条件」に関する問題の方が大きいと思うのだが、なぜ、それを「変更する必要がない」なんてわざわざ付記するのだろうか?

 まさか、「まぁ、細かいこと言わないでよ。正社員になれる、ってだけでいいジャン」というわけじゃないでしょうね?

 というわけで、今回は「働かせ方のルール」について、考えてみようと思う。

 「うちの会社では、以前は契約社員から正社員に転換できる制度はありませんでした。ですから、何回でも契約を続行することは可能でしたし、長い人では10年近く契約で働いていたんです。ところが一昨年に、3年たったら正社員に転換できるという制度ができましてね。最初は私も、その制度ができて良かったと思ったんですけど、実際には問題の方が多くなってしまったんです」

 こう語るのは、ある大手電機関連会社に勤める50代の管理職の男性である。

 この男性の会社では、「3年たったら正社員に転換できる」という制度ができたことで、現実には多くの契約社員が仕事を失うことになってしまったそうだ。実際には、会社はもっぱら「3年たったら正社員に転換できる」ではなく「4年以上は契約しない」という方針で制度を運用したからだという。

 つまり、それまではよほどの問題を起こさない限り、自動的に更新されていた単年度契約が更新されなくなった。2年目まではすんなりと行っても、3年目の更新の時のハードルがメチャクチャ上がり、一定の人数はそこで契約の解除を余儀なくされるようになったというのだ。

 「今までだったら雇い続けることができた人を、切らなくてはならないというのは、結構しんどい。契約だろうと、正社員だろうと、現場では、同じ働く仲間です。その仲間として一緒に働いている人と、契約社員だからという雇用形態の問題だけで、切るという行為が、実につらい。以前、人事にいた時には、“あんなの契約しなきゃいい”なんてことを、平気で口にしていたんですけど、実際に現場で一緒に働いていると、数値で示すことができない貢献をしてくれていることもあるんです」

 「毎日、一緒に働いていれば、その人の家庭の事情も分かってきます。自分が契約更新の判を押さなかったことで、その人の人生を変えてしまうのかと思うと、何だか申し訳なくて。すると、独身の人とか身軽な人ばかりを契約解除してしまったり、ホントにできる人を、『この人だったらよそでもやっていける』と契約解除したり。本末転倒です。こんなことだったら、いっそのこと前の方が良かったんじゃないかって思うこともあるんです」

50代の男性が語った胸中の苦悩

 数年前、人員削減が多くの会社で行われた時に、自分の部下たちをリストラしなくてはならない立場にいた人たちの苦しい胸の内を、何度も聞いたことがあった。それと同じ思いをこの男性も抱いていたのだ。

 もちろんこの問題は、「彼の問題」であって、制度やらルールやらの問題ではないのかもしれない。実際、3年目に正社員になった人たちにとっては、良い制度であるに違いない。でも、人間の気持ちは複雑である。ある人にとっては有益なルールが、ある人にとっては苦しみをもたらすこともある。

 制度さえなければ、何年も働き続けられた人たちが、制度ができたせいで働き続けられなくなってしまった。正社員にするという会社のルールに従うために、「切られる」人が生まれ、その上司は「切る」苦しみを味わわなくてはならなくなった。契約の解除は、現場のリーダーの一存に委ねられていることが多いのだ。

 特に、その契約社員たちが正社員たちよりも優秀な場合、余計に胸が締め付けられる。

 「契約の社員の人たちって、ものすごくよく働くんです。変な話、会社へのロイヤルティーも、仕事への責任感も、正社員よりもよほど高い」

 そんな言葉を幾度なく、契約社員を雇用している会社のリーダーたちから聞かされてきた。能力やパフォーマンスといった「個人の問題」ではなく、雇用形態という「会社の問題」でその人の人生を左右せざるを得ないことに、苦悩するのだ。

 契約社員として働いている人たちだって、同じだ。自分の能力に問題があるなら、何とかあきらめることができても、会社の都合となっては納得がいかない。「仕方がない」と必死に自分を納得させようとしたところで、なかなか受け入れられることではないはずだ。

 ただでさえ、「契約」というだけで、それまで散々煮え湯を飲まされてきたのだ。

・正社員よりも賃金が低い
・契約だと交通費が支給されない
・社員食堂でも契約には割引がない

 「なぜ、雇用形態が違うだけで、こんなにも待遇が違うのか?」という不満を抱えていたうえに、制度ができたことでそれまで自由に何年も契約更新できていたことができなくなったとなっては、元も子もない。

 そもそも「正社員」じゃ困るから、企業は「契約社員」にしているわけで。正社員化を義務付ける制度を作れば、ハッピーエンドってわけにはいかないのだ。

 当然ながら、契約社員たちにとって、将来への不安があるのは紛れもない事実だ。正社員になれれば、それに越したことはないだろう。だが、それ以上に、「今」への不満が深刻であることは、数々の調査結果から明らかである。

契約社員たちの真の不満と意外な希望

 厚労省の「有期労働契約に関する実態調査(個人調査)報告書(平成21年=2009年版)」によれば、正社員との賃金の差について、「かなり低い」との回答がトップで、48.0%だった。次いで「少し低い」が21.1%となっており、7割近くの契約社員が正社員よりも低い賃金で働いていることが分かる。

 賞与の有無についても、「賞与がある」としたのはわずか28.0%。しかも、85.6%が「正社員に比べて(金額が)少ない」と答えている。退職金の有無についても、「退職金がある」は10.2%で、75.9%が「正社員に比べて少ない」としているのだ。

 「でも、それって契約社員は、そもそも『責任』ってもんがないんだし、残業もないんだから、正社員と差があって当たり前だよ」。こう苦言を呈する人もいるかもしれない。

 だが、先の報告書によれば、「残業することがある」と57.7%が答え、平均残業時間の長さについても、「正社員と等しい」と52.1%が答えているのだ。

 52.1%を「やっぱ少ないでしょ」と捉えるか、「意外と多い」とするかは、人それぞれかもしれない。だが、契約だからといって残業が免除されるわけではないということだけは、この数字から明らかだろう。

 しかも大いに注目に値するのが、次の質問項目である。

 「契約期間が終了したのち、あなたはどうしたいですか?」

 この質問に対して何と50.9%の人が、「引き続き現在の職場で契約社員として働きたい」と答え、「現在の職場で正社員として働きたい」と答えた18.6%を、大きく上回っているのである。

 しかも、調査対象になった5000人の現在の通算勤続年数を見ると、「1年超~3年以内」が30.1%と最も多く、次いで「6カ月以内」が21.2%、「3年超~5年以内」が15.3%で、「5年以上」の人は20%しかいないのだ。

 おまけに、55.7%が「現在の仕事に満足している」と答え、「不満である」と答えた44.3%を10ポイント以上、上回った。

 さらに、「不満がある」と答えた人にその理由を尋ねたところ、トップは、「頑張ってもステップアップが見込めないから」(42.0%)、次いで「いつ解雇・雇止めされるかわからないから」(41.1%)、「賃金水準が正社員に比べて低いから」(39.9%)となっている。

 つまり、厚労省の作業部会が参考にしたという「契約社員の実態調査」から考えても、即座に改善が求められるのは、正社員との格差問題と言っても過言ではない。

 もちろん、「正社員として雇用してほしい」としている人も、22.1% いるので、正社員化を進めることには、異を唱えるつもりはない。でも、もし、「正社員としなくてはらない」というルールを作るのであれば、それと同じくらい「賃金格差」の改善にもプライオリティーを置かなくてはならないのだ。

 特に、「賃金格差」は人間関係をもいびつにする。

 「アイツは正社員のクセに、大して働いていない」
 「アイツは正社員のクセに、仕事ができない」
 「アイツは正社員なんだから、この仕事はアイツに押し付けてやろう」

 こうしたネガティブな感情は、慢性的なストレスとなり、不安感を高め、職務満足感を低下させていくのである。

働く人たちの意欲を保つために重要な「心理的契約」

 なぜ、「無期契約に移行した場合でも、賃金や年金制度など雇用期間以外の条件は変更する必要がない」なんて文言を追加する必要があるのか?

 そもそも現段階で「5年以上」働いている人が2割程度しかいない実態から考えれば、「5年」という制限はどんな意味を持つのか?

 何のためのルールなのか? 誰のためのルールなのか? 申し訳ないけど、私にはちっとも分からない。「3年以上は正社員化。賃金なども、すべて正社員と同等にすること」という法案であれば、納得できる。

 まさか……。何か、“裏”があるわけじゃあ、ないでしょうね?

 このルールを作ることで、甘い蜜を吸う人たちが“他”にいるんじゃないか、なんて。そんなことまで考えてしまうほど、訳の分からない改定なのだ。

 心理的契約――。

 これは、「組織によって具体化される、個人と組織の間の交換条件に関連した個人の信念」と定義され、働く人たちの働く意欲、つまりモチベーションを保つために、重要な要因と考えられているメカニズムの1つだ。

 「心理的」としている通り、法的な契約や職務契約とは異なり、あくまでも個人の認知に基づいたもので、多くの場合は、会社という目に見えない組織だけでなく、実際に日々関わる上司との関係性において構築されていく。

 例えば、「賃金、待遇」などは組織との関係性、「どんな仕事を任されるか、どれだけ上司から信頼されるか」は、上司との関係性に影響を受ける。

 そして、それらの条件が「自分にとって受け入れられる」ものであれば、個人は働く意欲を高め、職務満足感が高まっていく。心理的契約が高まると、次第に「この会社のために働きたい」と、会社へのロイヤルティーも高まっていくのだ。

 上司から仕事を認められたり、責任ある仕事を任されたり、正社員と分け隔てなく自分の存在価値を認められることで、上司との心理的契約は強められる。契約社員の方たちの実に6割近くの人たちが、「仕事に満足している」としていたのは、上司との心理的契約によるものだと考えることが可能なのだ。

 仕事へのモチベーションやパフォーマンスは、法的な契約よりも、むしろ心理的契約の度合いによって左右されると考えられているのである。

 しかも、いったん構築された心理的契約が破られることは、破る方にも、破られる方にも、土砂降りの雨となる。

 「パフォーマンスの高い仕事をすれば、契約を更新してもらえる」という思いから、120%の力を発揮すべき頑張っている契約社員の人たちも少なくない。そういう人たちにとって、契約を更新してもらえない理由が、自分のパフォーマンスによるものではなく、会社の都合ということになると、それは想像以上のストレスとなる。

 前述の「正社員への転換制度」ができたことで、苦悩する男性の場合も、一緒に働いている仲間への情だけでなく一緒に働くことで互いに交わされていた心理的契約を破ることにあった。そう考えることが十分できるのである。

 労働者の安定を守るためにという大義名分でルールを作るのであれば、本来、この心理的契約への影響も十分に考慮しなくてはならない。ところが、多くの政策や制度を決定する時には、アンケート調査などの量的調査をもとに行われることがほとんどだ。

 質的調査(個人にフォーカスし、その個人に語ってもらう手法)でしか測ることの難しい「心理的契約」は、完全に無視される。でも、本当に「契約社員のため」と思うのであれば、大変だろうと何だろうと、質的調査も行うべきだと思うのだ。

現場でホントに生かされるのは個人の生の声

 大学院にいる時に、臨床でドクターを経験していた先生が、「量的調査に基づく政策が、ちっとも現場では役に立たないと感じ、再び大学に戻った」と語ってくれたことがあった。

 「量的調査はね、結局は、その調査を行った人の仮説を検証するためのもの。質的調査は、個人的な意見で汎用性がないって非難する人が多いけれど、現場でホントに生かされるのは、そういう生の個人的な意見なんだよ」と。

 ルールや制度は必要である。でも、働く人のためのルールを作るのであれば、役人や大学の先生や知識人たちだけでなく、ホントに困っている人たちの「ナマの声」に、もっと耳を傾ける工夫も必要なんじゃないだろうか。

 それに……、人はルールで縛られれば縛られるほど、抜け道を探そうとする動物であることも、忘れてはならない。OECD (経済協力開発機構)の『Online OECD Employment database』によれば、労働者の雇用を保護する制度を強めれば強めるほど、失業期間が長くなる結果が示されているのだ。

 「新卒社会人の正規雇用の約3分の1が3年以内に辞める」時代に、「5年で正社員化」という法案が、悪い“逃げ口”にならなければいいと願うばかりである。

        ◇                 ◇



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パワーハラスメント 厚生労働省が定義を初公表 [コンプライアンス]

 厚生労働省は30日、職場におけるパワーハラスメントの定義を初公表した。3月までに問題解決のための取り組みかたをまとめる予定。厚労省では昨年12月、メンタルヘルス不調による精神障害の労災認定基準を定めたばかりだった。

 厚労省が明文化したパワーハラスメントの定義は『職場のパワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為』。なお、優位性とは、職場における役職の上下関係のことではなく、当人の作業環境における立場や能力のことを指す。たとえば、部下が上司に対して客観的になんらかの優れた能力があり、これを故意に利用した場合であれば、たとえ部下であっても上司に対するパワーハラスメント行為として認められるようになる。同僚が同僚に対して行ういじめも同じ仕組み。

 具体的な本行為の分類について、
(1)身体的な攻撃(暴行・傷害)
(2)精神的な攻撃(脅迫・暴言等)
(3)人間関係からの切り離し(隔離・仲間外し・無視)
(4)過大な要求(業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害)
(5)過小な要求(業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと)
(6)個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)。ただしこれらに関し、パワーハラスメントが疑われる個別のケースをよく精査することが重要であり、あくまで傾向を示したものとする。

 事業主への留意点として、予防するために
(1)トップのメッセージ 
(2)ルールを決める 
(3)実態を把握する 
(4)教育する 
(5)周知する

解決するために
(1)相談や解決の場を設置する 
(2)再発を防止する が挙げられており、早期に取り組むよう求めた。
なお、地方自治体に対しては、パワーハラスメントの実態について把握て明らかにし、問題の現状や課題、取り組み例などについて周知告発を行うよう求める方針。


 従来いわゆるパワハラ問題については、どのような行為ががパワーハラスメントなのかについて、具体的な定義付けと、それに基づく対策が難しい状況にあった。というのも、法令上の定義は存在しなかったのである。

 そこで、過去の裁判例では「パワーハラスメントとは、組織・上司が職務権限を使って、職務とは関係ない事項について、あるいは職務上であっても適正な範囲を超えて、部下に対し、有形無形に継続的な圧力を加え、受ける側がそれを精神的負担と感じたときに成立するものである」といった定義が訴訟当事者から主張されたこともあるが、やはり具体的な定義とはいいがたい部分がある。

 上記6分類が、パワーハラスメントの定義について公的な基準を提供し、パワーハラスメントの防止、解消に寄与することは間違いないと思われるが、これを生かせるかはひとえに企業法務の取り組み如何ということになろう。

 また、部下や同僚からの行為への示唆も、実務上重要である。

タグ:パワハラ
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コンプライアンスに熱心な管理職の隠された意図とは? [コンプライアンス]

コンプライアンスが重要だと言って、ルールや手続きを増やし、その厳格な運用を求める管理者の真の目的とは何なのか?

コンプライアンスが、現在の企業経営において重要な考え方であることは間違いない。しかしそれが、自分の最も大切な役割だと考え、様々なリスクを見出し、ルールや手続きやフォーマットを作り、メンバーにその正確な運用を強いるような管理職が多いのには首をかしげてしまう。

このタイプの管理職の多くは中高年であるが、そのコンプライアンスにかける熱意は、マネジャーに求められるそれ以外の仕事にかける熱意とは比較にならないほど強い。

彼らがそうする表向きの理由は、もちろん、コンプライアンスを重視した組織運営は管理者としての大切なミッションだ、ということなのだが、本音は全く違うだろうと思う。

中高年の管理者の多くは、企業内部における既得権者である。役職ポストを独占し、権限を持ち、給与水準は保証され、経営からはそれなりの存在価値を与えられている。彼らにとって困るのは、部下が自分より優秀であることが露見することである。あるいは、自分には理解できない創意工夫やイノベーションが起こることだ。

会社の規模的成長が望みにくい今、組織も処遇も仕事の仕方も何も変わらないほうが都合がよい。部下が活き活きと働き、成長し、その能力を存分に発揮することは、彼らにとって本音では(もしくは無意識下において)望ましい状態ではないのである。

そこで、コンプライアンスの出番となる。
ルールや手続きを増やし、その厳格な運用を求めれば、若手の自由な活動、付加価値時間を制限することができる。仕事上の工夫や変革、新しい知識や技術の導入などを提案されても、それによるリスクを見出すことさえできれば“コンプライアンス”を理由に却下することができる。

コンプライアンスという概念は、身の回りに変化が起こっては困る既得権者にとって、格好の道具となっているが実態だ。彼らは、自分の存在価値を低下させるような事態を防ぐために、能力的についていけないような変化が起こらないようにするために、「コンプライアンスが重要だ」と言っているのである。

コンプライアンスを「社会適合性」と理解する人が、徐々にではあるが増えてきている。
法令遵守というレベルではなく、顧客や市場や社会の要望を把握し、それに合わせ、遵うことがコンプライアンスだという考え方である。違法ではなくとも、社会からの期待や要望とずれたことをやれば企業のブランドに傷がつくという多くの例を見れば、このような理解の仕方は当然である。

そして、コンプライアンス=社会適合性と考えれば、速度を上げて大きく変わり行く社会に適合するためには、企業も変わらなければならないのは自然な流れであり、「内部的な変化なしに、コンプライアンスの実現もない」ことは容易に分ることだ。

このような理解は、既得権を持つ管理者達にとって実に不都合に違いない。
彼らは、コンプライアンスを、変化を起こさないための道具として使ってきているからだ。

コンプライアンスを大義名分に、法令や社内の規程やルールを守らせることにより、現場でイノベーションが起こらないようにしてきた。コンプライアンス=法令遵守でなければ困るのである。

コンプライアンス=社会適合性となってしまったら、いよいよ既得権が危うくなる。コンプライアンスを法令遵守に限定して理解し、その遂行に熱心な管理職には、若手はもちろん経営者も相当に気をつけるべきである。

コンプライアンスを単なる足かせにしてはならない。
こういう管理者等は「法律を守ればあとはなんでもいい」というスタンスになりがちになる。

これでは企業の創造的な活動と本末転倒ということになるであろう。


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