【いじめ事件】とある立論 「教師はほう助犯になりうるか?」 [事件]

いじめを受けていた大津市の中2男子が自殺した問題は、滋賀県警が学校などへの強制捜査に踏み切ってから1カ月が経過した。
この間、全国各地で警察が捜査に乗り出すいじめ絡みの事件が相次いで表面化。教育現場では「教育的配慮」という美名の下、“警察沙汰”を回避する風潮が強いとされるが、専門家は「犯罪的ないじめには、警察の介入を躊躇(ちゅうちょ)すべきではない」と指摘する。sankei.gif

「いじめている側」の論理として「あそびだった」とか「単なる悪ふざけ」というものがあるが、これは刑法上の「故意」の問題とつながる。
基本的に犯罪は犯罪を行う意思をもってすることに限定されているが、この「意思」の中身が次に問題になる。

定義的に言えば「故意」とは「犯罪事実を認識認容し、規範の問題に直面し、反対動機を形成すべきであったにもかかわらず、それを形成しなかった人格態度」ということになる。

この場合の認識の対象は「殴った」という暴行の事実とか、「金を奪った」という恐喝や強取の事実をいうのであって、「あそび」や「悪ふざけ」といった「目的」は問題とならない。


 広島市安佐南区の市立中学3年の男子生徒(15)は8日、今年6月に同じ野球部員の男子生徒(15)を胴上げのように投げ上げ、落ちてきたところを膝で蹴り、腰の骨を折る重傷を負わせたとして傷害容疑で逮捕された。市教委は当初、「日常的いじめではない」と説明していたが、その後、撤回した。

 このケースの場合、いじめが日常的なものかどうかが問題なのではなく、明白に「傷害罪」であることに市教委は思い至るべきであろう。
いじめに絡む事件.jpg
 7月11日に大津市の問題で滋賀県警が学校などを家宅捜索する強制捜査に乗り出して以降、いじめ絡みの暴行などで警察が捜査に乗り出したり、加害者側が逮捕、書類送検されたりするケースが後を絶たない。

 しかし、大津市のケースでは、教育現場や一部の識者から「学校でのいじめに対して警察の捜査はなじまない」「学校内で解決すべきだ」などと批判的な声が上がっていたのも事実。

 この点、元中学教員で東京学芸大教職大学院の今井文男特任教授は「学校現場では昔から、いじめや暴力行為などに対して警察の介入を避けたがる風潮が強い」と指摘し、理由について、子供の人権や将来を考えた「教育的配慮」と、学校特有の「事なかれ主義」を挙げる。

教育側が立派に懲戒権を駆使するなど「教育的指導」を果たせる場合はもちろん警察が介入する余地もないだろう。
しかし、学校側が、一次的には学級担任が「いじめ」を見て見ぬふりをして放置していた場合はどうだろうか?

くりおねはこの点、当該教師には「片面的ほう助」が成り立つと考える。

犯罪は本来一定の行為を前提とするが、いわゆる「何もしない」不作為の場合にも犯罪は成立しうる。

たとえば、「道で倒れている人」に対して通行人は一般的に救護する義務はないので、仮に何もせず通り過ぎても罪には問われないが、警察官等一定の業務上の義務がある人間がこれを無視すれば、単なる職務怠慢ではなく、「遺棄罪」としての刑責を問われる。

また、「住居侵入窃盗」の場合、単なる「見張り」は窃盗の実行行為ではないので、窃盗罪のほう助と扱われることが多い。
ではこんな場合はどうなるだろう。
警備員Aが自身が警備するビルに侵入している者Bを見つけた。しかしAは何らかの理由からか、Bを見て見ぬふりをして、窃盗行為を容易にした。

これは判例上「片面的従犯」の問題として、仮に主犯がほう助者を認識していなくても物理的に主犯の犯罪を容易にしたという事情があれば、一方的なほう助もなりうるとしている。
ましてやこのケースの場合、警備員Aは当該ビルの保安義務があるのであるから、「なにもしない」という不作為にも行為性が認められ、ほう助行為としては十分とされる。

振り返って、「いじめ」を知っている、または知りうる立場の教師についてはどうだろうか。
一般的に教師には児童生徒に対し教育指導すべき義務があると考えられ、また校内においては個々の生徒児童が安全に過ごせるよう配慮すべき義務があると考えられている。

にもかかわらず、当該教師が一定の生徒児童が何らかの危害が加えられ、それを放置している場合には、当該教師は加害生徒の暴行なり強要なりの行為を容易にしているものとして、当該罪責の「ほう助」が成り立つのである。

 被害生徒に関していえば、いち早く当該教師または学校側に対していわゆる「いじめ」としての暴行や脅迫の事実を告げて、「規範の問題」に直面させておかなければならないだろう。
(くりおねだったら、口頭ではなくケンカ覚悟の「内容証明郵便」で送りつける)

 「先生」が逮捕される。
 ここまでやらないと、事態は改善しないような気がする。

最後に高校1年の娘をいじめ自殺で失った小森美登里さん(55)の言葉を書いておこう。
「いじめは『被害者にも落ち度がある』とよく言われるが、人をいじめていい理由など何もない。加害生徒にどう反省を求めていくかが重要で、いじめ問題は、加害者の問題だと認識して対応してほしい」

「やられるほうにも落ち度がある」とは何もしないことの言い訳にすぎない。
「やるほうが一番悪い」にきまってる!



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